勉強法の記事を保存する。仕事術の動画を見る。試したい方法は増えたのに、今日の作業はまだ始まっていない。
そんなとき、一度だけ問いの向きを変えてみたい。同じことで困っている人が目の前にいたら、自分は何と言うだろう。
「最初から全部やろうとしなくていい」「スマートフォンは手の届かない場所に置こう」。自分に必要な言葉を、案外すでに持っているかもしれない。
助言する側に回ることを検証した研究がある。2019年にPNASで発表された、米国の公立高校7校、1,982人を対象とする無作為化実験だ。ここで確認されたのは、特定の学校・期間・課題における平均的な変化であり、「助言すれば長期的に成績が上がる」という万能効果ではない。助言する群の生徒は、勉強の工夫について答え、年下の生徒に励ましの手紙を書いた。活動は平均約8分。その活動をしなかった群と比べ、その後の第3四半期の数学と、本人が改善したいと選んだ科目の成績に、小さな平均的改善が見られた。ただし、第4四半期の差は統計的に明確ではなく、長期的な効果まで確立した結果ではない。原著論文
また、この実験だけでは「助言を受けるより、与えるほうがよい」とは言えない。比較相手は助言を受ける群ではないからだ。何が効果を生んだのかも特定されていない。
FORWARD BASISがここから考えたいのは、研究結果をそのまま日常へ移すことではなく、自分がすでに持っている知識を「取り出す行為」として助言を使えるか、という点である。
新しい方法を探すときには、「まだ知らないこと」に目が向く。一方、誰かに助言を書こうとすると、「自分が試して、少しは役立ったこと」を取り出す余地が生まれる。たとえば、集中力について何冊も読む前に、昨日はどこで作業が進んだのか。その場所では、何が邪魔にならなかったのか。そういう小さな経験も、助言の材料になる。
試すなら、他人に頼まれていない助言を送る必要はない。自分と同じところで止まっている架空の後輩へ、短いメモを書いてみる。これは研究の手続きをそのまま再現した方法ではなく、記事としての提案だ。
書く内容は、自分で確かめたことに絞る。「気合を入れよう」で終わらせず、「資料を開いたら、最初に見出しだけ置いてみよう」のように、相手が次にできる動作まで書く。うまくいかなかった条件も覚えていれば添える。
書き終えたら、その助言を今日の自分にも使えるか読んでみる。使えないなら、何が違うのか。時間が足りないのか、道具がないのか、それとも実際には自分も試していない助言なのか。
ここで役に立つかどうかは、立派なことを言えた満足感では判断しない。書いた助言が、今日の具体的な行動へ変換できたかを見る。知らない技術は学ぶ必要がある。それでも、すでに知っている工夫が眠っているなら、次の情報を探す前に取り出してみる価値はある。
誰かのために書いたメモの中に、今日の自分が始められる一文はあるだろうか。
SOURCE / 原典
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本文の事実確認に使用した原典です。FORWARD BASIS独自の解釈・整理は本文内で区別しています。